第365号 バブルで何があったか(2017年6月8日発行)
執筆者 | 山田 健 (中小企業診断士 流通経済大学非常勤講師) |
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目次
1.バブルで何があったか
ヤマトの「宅配クライシス」は、業界を超えてもはや社会現象となっている。今年2月、の発表に接した際、「これは大変なことになる」とは感じたが、まさかここまでの「大事」になるとは想像していなかった。宅配便とネット通販という身近でわかりやすい話題であったことと、電通問題に端を発した働き方改革に関心が向けられていたことなどが要因なのだろう。
筆者をはじめ、物流業界の人手不足問題の深刻さを以前から憂慮していた関係者にとっては、「わが意を得たり」の感が強いだろう。
いうまでもないが、ドライバー不足、人手不足は宅配便に限ったことではない。宅配に至る、その上流の物流を含めた物流危機ははるかに深刻である。消費者には身近でないし、担っている物流事業者が、ヤマトほどの規模も発信力もないから表面に出ていないだけである。
身もふたもないかもしれないが、正直にいえば現時点で物流危機を解消する抜本的な対策は見当たらない。共同物流も、モーダルシフトも、自動ロボットも、宅配ボックスも、当日配送や時間指定の廃止も、自前の物流も、それはそれなりに有効かもしれないが、所詮「焼け石に水」の域を出ない。感覚的ではあるが、圧倒的な物量の前には歯が立たない。物量に対して、絶対的に受け皿が足りないのである。その点では、ヤマトの打ち出した方針の中で、唯一「総量制限」のみが有効な方法に思う。
そして、物流業界の人手不足問題は、今に始まったことでもない。バブル景気の時代も深刻な人手不足に見舞われた。ただ、現役サラリーマンであの時代を知っている方は、もう少なくなってきていることであろう。
そこで、バブル期に物流で何があったのか、なかでもサプライチェーン上流の物流で何があったのか、何が参考になるのか、など振り返ってみたい。単なる昔話といわれるかもしれないが、歴史に学ぶことも無駄ではないかもしれない。
2.東北でのできごと
筆者は、1986年の夏から1991年の秋まで、物流会社の仙台支店に勤務していた。時はまさにバブル絶頂期である。
担当は、食品・飲料メーカーの営業窓口。支店のメイン荷主である。いうまでもなく、仙台は東北6県(青森、秋田、岩手、宮城、山形、福島)最大の商業都市で、物流の要衝である。担当各社の物流センターもほとんど仙台に立地していた。
地方勤務ゆえ、東京のバブル景気のすさまじさは耳にするだけだったが、その余波は東北の地方都市にも及んでいた。ビルといってもせいぜい8階建てくらいが最高であった街に、高層ビルが次々と建設されていった。物量の伸びも急激である。
3.スーパードライの衝撃
バブルが膨らみ始めた頃、ビール業界ではある「革命」が起きていた。1987年2月に発売されたアサヒ・スーパードライである。これが、後の「ドライ戦争」と呼ばれるビール開発競争の引き金となったことはよく知られているところである。
ビール会社の担当者によれば、それまでの業界は「麻雀」をやっているようなものだったそうである。4人で卓を囲み、誰かがあがればその分誰かが沈む。パイの大きさが変わらない中で、ビール4社(キリン、サッポロ、アサヒ、サントリー)が限られたシェアを奪い合う、ゼロサムゲームのことである。業界の閉塞状態を的確に表現した比喩に感心したことを覚えている。
それが、スーパードライの登場で状況は一変した。それまで変化のなかった「パイ」自体が急激に拡大を始めたのである。実際、アサヒビールの社長、会長を務めた福地茂雄氏は、日経新聞「私の履歴書」の中で、「発売当初からスーパードライの売上は計画の倍以上のペースで伸びていった」と当時の驚異的な売れ行きを述べている。当事者の予想をはるかに超えた、まさに「革命」だったのである。
4.物量の爆発
それでなくてもバブルで膨れ上がった物量に加えて、このビール消費の急拡大。筆者の担当する食品物流は空前の活況に見舞われた。とくに、繁忙期である7月から8月にかけての出荷量は強烈で、毎日が欠車との戦いである。本来、物流会社としては喜ぶべきことではあるのだが、何せトラックが足りない。オーダー100に対して確保できるのは80程度である。
物流会社の社内でも車の取り合いが始まる。荷主にも優先順位を付けざるを得なくなる。大きな声ではいえないが、売り上げ規模が小さい、あるいはおとなしい(あまりクレームをいわない)荷主を欠車させ、大口荷主や要求が厳しい荷主のオーダーを埋める、などといった「社内調整」は日常茶飯事となる。
5.貸切から路線へ
この時期、不思議な現象が起きていた。貸切トラックが確保できなかった荷主は貨物を路線便(特別積み合せ便)に振り向け始めた。2トン、3トン、4トンといった、通常期ではあり得ないロットが路線便に流れてくる。今でこそ、2トン以上の大ロットオーダーは路線便では受けつけないが、何せ当時はそんなルールはあってないようなものである。
夕方になると路線便のターミナルには、こうした「流れ貨物」の集中が始まる。こうなると、本来貨物を方面別に仕分けするためのターミナルは足の踏み場もなくなり、仕分けどころではない。収容しきれなくなった大量の貨物は、トラックの接車バースにまではみだし、ターミナルは貨物の巨大な「壁」に包囲されることになる。
先に集荷した貨物は、ターミナルの奥に滞留し取り出せない。くわえて、幹線便のトラックも足りない。ターミナルは、後から到着した貨物だけがグルグル回転する「後入れ先出し」状態となり、機能は停止する。
路線の積み残しとともに、物流会社の営業には荷主のクレームが殺到する。だからといって、いったんパンクしてしまった物流はそう簡単には復旧しない。今でも、恐怖とともにあの貨物の壁が目に浮かぶ。
こうした混乱が続いていた暑い夏の日、「事件」は起こったのである。
6.長い梅雨と押し込み販売
混乱の続いていたある夏のことである。その年、東北の梅雨は例年になく長引いていて、7月下旬になっても一向に明けるきざしがみえなかった。
筆者の担当するビール会社の7月の売上げは目標にはるかに届かない。蒸し暑い関東などの梅雨とは違って、東北の梅雨は半袖どころか上着が必要なくらい寒いからである。「屋上のビアガーデンで仕事帰りにビール」などという気にはとてもなれない。その一方で、かき入れ時である7月のビール販売目標(ノルマ?)はハンパではない。
もうすぐ8月という頃、気象庁から突然、東北地方の梅雨明けが発表された。待ちに待っていた東北の短い夏の到来である。残り少ない日程の中で、ビール会社は7月の販売目標達成に向け、一斉に卸への販売攻勢を開始した。
結果はご想像のとおりである。7月の売上目標未達成分のすべての出荷が、最終日である7月31日に集中した。いわゆる「押し込み販売」である。今より物流への関心も低かった(というよりなかった)当時、営業マンはオーダーさえ流せば商品は自動的に届くものだし、届いて当然、と思っていたのだろう。
7.物流大混乱
発生したのは予想をはるかに超える混乱であった。あまり思い出したくない光景であるが、物流センターがパンクするとどうなるか、経験したことがない方にはあまりピンとこないかもしれない。
仙台の倉庫の出荷能力は1日当たり300トン程度、車両台数にして10トン車、4トン車合わせて30台くらいであったろうか。それに対し、7月31日の出荷オーダーは、1,200トン、車両130台である。
深刻なドライバー不足の中、通常の4倍以上の車両の手配などできるはずもない。それでも現場の必死の努力によって、どうにか100台近くの車が集まった。
次の問題は、キャパをはるかに超えた倉庫の出荷である。悪いことに、当時の倉庫は昔の米蔵。長期の保管には適しているものの、出荷口や積込みバースは小さいし、ひさしも数メートルで、お世辞にも「物流センター」などと呼べる代物ではなかった。構内にはトラックの待機場所もない。大量の製品を効率よく出荷する構造にはなっていなかったのである。
せっかく集めたトラックに出荷、積込みが追いつかない。1台のトラックが構内に入って出るまで実に8時間を要した。倉庫の周辺道路には、積込み待ちのトラックがとぐろを巻いて、その列は住宅街まで伸びていく。異様な光景と騒音に、近隣の住民から苦情が出て警察がやってくる。待ち時間の長さに怒って帰ってしまう運転手も現れる。
8.モノが届かない
当然、商品は卸に届かない。卸から荷主へ、荷主から物流会社の営業担当である筆者の元へ問合せとクレームが殺到する。メールなどない時代、現場の電話は問い合わせが集中してつながらない。どの届け先のトラックが出発したのか、していないのかもわからない状態である。
考えられる限り、これは最悪の状態である。出荷できないならできないで説明のしようもあるが、両方が混在し、その状況もつかめないというのでは、話にならない。当然、荷主の怒りは頂点に達する。
さらに悪いことに、責任感の強い現場の作業員が徹夜で出荷作業を続けてしまう。その結果、翌日は誰も出勤してこない。というか、出勤させられない。そこへ翌日も、通常の倍くらいのオーダーが入ってくる。
結局この混乱を収拾するのに1週間を要した。お盆の帰省客から、青森のねぶた、秋田の竿灯、山形の花笠と続く夏祭り、東北のビール最盛期の出荷は完全に機能停止状態になってしまったのである。ビール会社が受けた営業面でのダメージは、小さくなかった。
9.混乱ふたたび
結局、この混乱の責任は車両を集められなかった物流会社に帰せられた。筆者は、支店長名での大仰な「お詫び」文書を書いたことを鮮明に覚えている。
同時に、この時に浮かんだ率直な「疑問」も忘れられない。そもそもこの混乱の原因は何だったのか。本当にエンドユーザーである消費者が必要とした出荷だったのか。ビール会社が売上目標を達成するためだけの「仮需」ではなかったのか。
さらに言えば、なぜ物流会社に「売り切れ」は許されないのか。同じ運輸系である航空会社や鉄道会社では、ゴールデンウィークやお盆、年末年始には座席の「売り切れ」が発生する。顧客はそれを「なぜもっと航空機や列車を増やさないんだ」などと運輸会社のせいにはしない。
予約を早めたり、旅行会社に頼んだりするなど、自身の責任で対策を講じる。需要のピークに合わせて車両や人を抱え込むことなど、現実的でないのをわかっている。こうしたごく当たり前のことがなぜ物流には通用しないのか。
20年以上も前の出来事を書いてきたのは、思い出話のためだけではない。物流の混乱とはどういうものなのか、その影響の大きさはどの程度なのか、危機感を共有したかったからである。
極論すれば、ネット通販の商品が配達できなくなること自体は、社会的にそれほど深刻な問題ではない。自分でお店に買いに行けばいいだけの話である。店頭になければ数日我慢して取り寄せてもらえばよい。ほんの10年前までは皆そのようにしていたではないか。
しかし、商品がその店舗へ届くまでの上流の物流、すなわち原料まで遡ったサプライチェーン全体の物流がマヒしたら、ただでは済まない。われわれの生活そのものが成り立たなくなる恐れさえある。
ひと夏の東北の混乱にくらべ、昨今の人手不足は一過性のものとは思えない。このままいけば、あのような混乱が常時発生する可能性すらある、と危惧している。その意味では、「宅配クライシス」によって世間の関心が物流に向けられている今こそ、絶好の機会である。官民あわせて、抜本的な対策を真剣に考えなければならない事態に至っていることを認識する必要がある。
その際、将来の夢のような構想はさておき、もはや一部の業者が犠牲になってコスト負担して済む話ではない。まずはメーカー、流通、物流のサプライチェーン全体、そしてわれわれ消費者まで含めた社会全体でコストを負担していくことは避けられない。
さらには、物流を限りある貴重な資源と認識し、ヤマトの「総量規制」や「当日配送廃止」などのように、本来社会的に意味のない無駄なサービスなどを排除していく現実的な対策も検討しなければならないのではないか。
いま、物流はそこまで深刻な危機に直面している。
以上
(C)2017 Takeshi Yamada & Sakata Warehouse, Inc.