第96号好きなものを売る小売業者について考える―自己目的志向という経営意識―(2006年3月23日発行)
執筆者 | 小宮 一高 香川大学 経済学部 助教授 |
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目次
1.はじめに 好きなものを売る小売業者
街中で買い物をしていると,趣向を凝らした店舗が目にとまることがある。同業の店と比べると明らかに品揃えが異なっている。珍しい商品が多いために商品を見ているだけで楽しい。また,商品について店員に尋ねてみると,驚くほど詳しい説明が返ってくる。おそらく経営者なのだろう。「この商売が好きなのだな」と感じずにはいられない。
特に大都市の商業地では,このような店舗を見つけることは,それほど難しくない。アパレル関係や雑貨,オモチャ,眼鏡といった商品を扱う店舗に多く見られるようだ。また,近年ではネットで商売をする小売業者の中にも,この種の店舗(サイト)を見ることができる。ウェブ上の詳細な商品解説やメールでの問い合わせへの丁寧な対応は,商品に対する深い知識や愛情に裏打ちされているのだろう。これらの経営者は,取り扱う商品に対して深い関心や愛情・嗜好をもっており,それが商売のあり方に大きく影響を与えているのである。
このような経営者は,小売業の「仕入れ」の側面,学問上の用語でいえば「品揃え形成」においても,経営者の個人的関心・嗜好が影響を与えているはずである。端的に言えば「好きなものを仕入れる」,この姿勢である。この小論では,このような小売業者の経営意識・姿勢を「自己目的志向」と呼んで,その性質について検討してみたい。一般的にはあまり意識されない点であるが,私たち消費者にとって,このような意識による店舗がどのような役割を果たしているのかを考えてみたいと思う。
2.自己目的志向という考え方
本稿が自己目的志向と呼ぶ経営意識は,どのようなものであろうか。経営者だけでなく,一般的に人が仕事をする上で求める報酬には2種類のものがある。1つは金銭や役職といった自分以外の人から与えられる報酬である。もう1つは仕事から得られる満足感,充実感など個人の内面的な感情として得られる報酬である。自己目的志向に深い関連があるのは後者である。以下ではこれを内的報酬と呼ぼう。
内的報酬の代表的な例として,仕事がうまくいった際の満足感がある。小売業の例で考えれば,次のようなケースが考えられる。3日後に近くの小学校で遠足があることを聞き,店頭に専門のコーナーをつくり,駄菓子を多めに発注した。多くの小学生が訪れて喜んでお菓子を買ってくれた。非常に満足感を感じる。このようなケースである。他の仕事であっても同様な満足感は様々な形で得られるだろう。
しかし自己目的志向の小売業者が感じる内的報酬は,これとは異なっている。彼/彼女らの感じる内的報酬の起点は商品自体にある。その分野の商品に対して深い関心や愛情をもっており,それらに囲まれて商売をおこなうこと自体に喜びを感じる。このような感覚が彼/彼女らの得る報酬であり,仕事へのモチベーションとなっている。特に小売業では,消費者が商品を使用するのと近い形で商品に接することができるので,消費者と同じような喜び・楽しみの感覚を得やすい。このように,商品への関心や嗜好から発生する内的報酬(商品を扱う喜び・楽しみ)を重視する小売業者を,自己目的志向の小売業者と考えることにしよう。
このような自己目的志向の小売業者の大きな特徴と考えられるのは,その品揃え形成に関わる性質である。自己目的志向による品揃えは,その経営者の個人的な関心や嗜好に影響を受け,独自性の高いものになると考えられるからである。
一般的な小売業者の場合,売上や利益を優先して考えるため,売れ筋を中心に品揃えする。コンビニエンス・ストアはその代表である。近年はIT技術の進歩によって商品の販売動向をある程度正確に知ることができ,売れている商品を残し,売れない商品をカットすることができる。その結果,店頭には常に売れ筋商品が並ぶことになる。
他方,自己目的志向による品揃えはどうだろうか。彼/彼女らは,個人的な関心・嗜好に影響をうけて品揃えするため,必ずしも市場の需要動向を反映しない。「好きな商品を並べる」のである。このことは,言い換えれば,「珍しい」商品が店頭に並ぶ可能性が高いことも意味している。特に,自己目的志向の小売業者は,その分野の商品に深い知識をもつために,独自の仕入先を開拓している場合もある。例えば,木製のオモチャをヨーロッパまで買い付けに行く,といったケースである。これらのことから,独特の品揃えが形成されることになるのである。
このような小売業者が存在することによって,私たち消費者は,必ずしも需要が大きくない商品を目にすることができる。もし,すべての小売業者が市場の動向にあわせて品揃えをするとすれば,特異な商品が市場に現れる可能性はかなり低くなってしまうだろう。
ここで「かなり低くなる」といったのは,このような需要の少ない商品を取り扱う小売業者は,必ずしも自己目的志向の小売業者に限定されないからである。一般的に「ニッチ戦略」といわれるような,需要の小さい市場に特化した戦略をとる小売業者は,自己目的志向の小売業者と似て,需要の少ない商品を取り扱うことを特徴とする。
この2つの小売業者の違いは,短期的な販売低迷への抵抗力である。商品自体への個人的な関心・嗜好を強くもつ自己目的志向の小売業者の場合,短期的に商品の売り上げが低迷しても,それに抵抗して,粘り強く商品を取り扱うことが予想される。それは彼/彼女らが,その商品への深い知識と関心・嗜好をもっているからに他ならない。他方,そのような個人的関心のないニッチ戦略の小売業者は,思い通りに商品が売れないとわかれば,商品の入れ替えを検討することになるだろう。
生産段階における製品開発では,長期的な観点で,息の長いマーケティングをおこなうことによって,短期的には売上が上がらなくても,その後大きな需要を開拓することがある。この点を考慮すると,小売段階においても自己目的志向の小売業者が長期的に商品を取り扱うことは,市場の開拓において一定の役割をもつと考えられるのである。
3.自己目的志向の戦略
以上のように自己目的志向の小売業者は,①珍しい商品との出会いをもたらす,②それらの商品の市場開拓に貢献する,という役割をもっていると考えられる。しかし,それとは別に1つの疑問が浮かぶ。自己目的志向で厳しい競争を勝ち抜いていけるのか,という点である。売れ筋の商品を優先的に取り扱わないのであれば,彼/彼女らはどのように商売を維持していくのだろうか。
自己目的志向の小売業者はまず経営の起点に自らの関心・嗜好をおくので,それを前提として戦略を構築する必要がある。つまり,そこから得られる内的報酬は確保した上で,いかに経営を安定させるかがポイントになるだろう。この点については,今後より詳細な研究が必要とされるのであるが,彼/彼女らに必要となる行動として予想されるのは次の2点である。
第1のポイントは顧客との緊密なコミュニケーションである。自己目的志向による品揃えは,必ずしも需要の動向を反映しないため,消費者の方から商品を指名してくることは少ない。他方,経営者はその商品に対する豊富な知識をもっているのであるから,顧客とのコミュニケーションのパイプを太くし,経営者の個人的な嗜好や見解を伝達することが需要開拓のために必要となってくると考えられる。
第2のポイントは長期的な観点からの店舗のブランド化である。顧客とのコミュニケーションを緊密にすることは重要なポイントであるが,この戦略の問題は接客のコストが高くつく点である。商品知識の深い店員の数が限られるとすれば,すべての顧客に同様の接客をすることは容易でない。この問題を解決するためには,長期的な観点で店舗経営と顧客とのコミュニケーションを行い,店舗のブランドイメージを高めることが必要である。具体的に言えば,顧客に「この店のチョイスであれば間違いない」と思わせるように顧客との関係をつくっていくのである。
4.むすびにかえて
小売業界が競争の激しいビジネスであることは間違いない。しかし,それは人間の営みである。人間的な要素が全く介入しないわけではない。自己目的志向という視点はビジネスの中の人間的要素を垣間見せてくれる。特に小売業は規模が小さくても開業できるため,人間的な要素が目につきやすいのかもしれない。ちょっと珍しい店を見つけたときに「自己目的志向かな?」と思いつつ,店舗を観察してもらえれば,普段気がつかない点が見えてくるのではないだろうか。
以上
<参考文献>
・小宮一高(2003)「自己目的志向の小売業者と品揃え形成」『流通研究』
第6巻 第1号,pp.81-93。
・小宮一高(2004)「成長を抑制する小売業者の経営意識」
『香川大学経済研究所ワーキングペーパー』No.90。
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