第468号 支払い方式って何だ(2021年9月21日発行)
執筆者 | 山田 健 (中小企業診断士 流通経済大学非常勤講師) |
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執筆者略歴 ▼
目次
I.届いた訃報
毎度のことであるが、冒頭から私事で大変恐縮である。昨年末、元上司の奥様からご主人の訃報が届いた。筆者がかつて勤務していた物流会社でお世話になった上司である。仮にAさんとしておこう。
バブルで物量が増え、物流品質は低くく、認知度も理解度も今とは比較にならないほど低かった時代の営業責任者であったAさん。世の中が空前の景気拡大に沸いていたあの頃、担当係長として荷主からのクレーム処理対応に追われ、「地べたを這いずり回るような」日々を過ごしていた筆者とAさんの思い出は尽きない。少々リアルな話になるが、もう時効だろうから少し披露させていただく。
II.払いすぎた運賃
80年代も終わりに近づいた年の3月末、Aさんと筆者は荷主である大手メーカーの物流担当者に呼び出された。担当者によると、3年以上にわたって運賃を払いすぎていたという。決して少なくない金額である。年度末である今月中に返してほしい、とのこと。
運が悪い(良い?)ことに、長く赤字に苦しめられてきたその地方支店は、バブルの恩恵もあって、その年度に何年かぶりの黒字へ浮上。しかも利益予算までW達成の見通しとなっていた。当時の支店長は実におっかない人で、社員に手を挙げたりするのは日常茶飯事。筆者も「被害者」の例外ではない。引っ越し繁忙期に、当時はまだ残っていたストーブの火かき棒を持った彼が担当所長を追い回していた現場に遭遇したこともある。
今だったらパワハラで大変な問題になるが、当時の物流の現場では決して珍しいことではなかった。物流現場とはそういうところだった(今は全く違うのでとくに学生さんにはくれぐれも誤解のないように)。
ただ支店長の名誉のために付け加えておくと、おっかないけれど、なぜか憎めない人だった。時おり見せるニッコリ笑った顔に何とも言えない愛嬌があった。筆者も含め当時彼を恨んでいた社員はいないと思う(もちろんそうであっても暴力は絶対許されないのは言うまでもない)。
そのような支店長の下、念願の黒字と予算達成である。かの支店長の喜びは察するに余りある。期末のある夕方、上機嫌で筆者たち営業部隊のところへ現れ、「ちょうちん行列でもしたい気分だ」「これから皆で飲みに行こう」と言い出す始末。酒の飲めない彼がそのようなことを言い出すことはきわめてまれである。
当時のサラリーマンとしては名誉な(?)その日、運が悪いことに筆者は悪性の風邪に苦しめられていた。期末のため無理して出勤していたが、一刻も早く帰宅して休みたい気分であった。ただ、そこは勤め人の悲しさ。雲の上の支店長のお誘いを断るなどあり得ない話であり、何とかがまんして全員参加の飲み会にお付き合いはした。酒も食事も胃腸が全く受け付けず、会話するのも苦痛だったことを鮮明に覚えている。
話が逸れてしまった。過払いの運賃を返さなくてはいけなくなった時、一方ではこのようなめでたい事態が進行中であったことを理解いただければありがたい。ここで大幅な運賃減額など行ったら予算達成はおろか、再び赤字に転落するのは明白であり、とてもではないけど許される状況にはなかったのである。
過払いしてしまった方にも責任はあるが、一義的には誤請求を続けてきた側、つまり物流会社側の責任である。その請求書を作成し精算処理を担当していたのが筆者である。そして、社内的に責任をかぶらざるを得ないのが上司のAさんである。
メーカーの物流担当者から通告され、春まだ遠い3月の、すでに日も暮れた道をAさんとトボトボ歩いて会社に向かった。お互いに、今更これほどの額を修正する話など到底できるはずもないことは口に出すまでもなくわかっていた。途方に暮れながら無言で歩いていた時、Aさんが不意にポツリと漏らした。
III.責任を一身に
「山ちゃん(当時はこう呼ばれていた)、オレもう覚悟決めたよ」。一瞬耳を疑ったが、自分が責任をすべてかぶるという意味であることはすぐにわかった。事実上の責任を負うべき筆者を責める言葉は一切なかった。
正直意外な言葉であった。実は、筆者はそれまでAさんのことをあまりよく思っていなかったからだ。仕事上でいろいろ注意をする言い方がネチネチとしていて、好感をもてなかったのである。
それにしても、勤め人なら理解できると思うが、日常のちょっとしたトラブルではまだしも、あのような深刻な場面で腹をくくることのできる上司はそういない。
残念ながら、筆者の仕えた上司には少なかったように思う。この状況では、おそらく部下や他人のせいにして社内的な保身を図る人が大半だったのではないか。サラリーマンとしては当然だろうし、筆者がその立場だったとしても自信はない。
あの瞬間、心の底からAさんのことを尊敬できたしそれは今も全く変わらない。いまだまったくその域には達していないものの、自分もそうありたいと思うようにもなった。考えてみれば、仕事に対する真摯な姿勢は学ぶ点が多かったし、注意されるのはそもそも筆者に落ち度が多かったのが原因である。ネチネチはあくまで口癖であり、内面は決していやらしくなく、部下思いの腹の座った人だったのだ。
この話には先がある。会社に戻って10分もした頃だろうか。Aさんと二人、人気のなくなったオフィスで、帰る気力も失せてぼんやり残務整理をしている筆者のデスクの電話が鳴った。電話の主は先ほどのメーカーの物流担当者であった。「さっきの件、こちらにも落ち度はあるので返済方法を相談したい」。結論から言うと、期末の危機は免れた。具体的には書けないが、穏当な方法で処理することができたのである。地獄から天国とはまさにこのことで、Aさんも心底ホッとした様子であった。そのあと飲みに行ったかどうかは覚えていない(あの頃の会社ではよくそういうことがあったが)。
実は荷主担当者とは仕事の上で信頼関係を築いていた自信はあった。数えきれないほどのクレームとお叱りをいただいたが、闇雲に荷主の立場で押し付けてくるのではなく、トラブルなどの原因と対策をきちんと論理だてて説明すれば納得してくれる方であったので、筆者とはソリがあったと思う。そのようなことが影響したのかどうかは今となってはわからない。
日頃、ソリューション営業などと科学的で論理的な提案や営業を教えている立場からは何であるが、営業とはそうした積み重ねで最後は顧客との信頼関係、人間関係が物言うともいえる。その担当者もすでに故人となってしまった。
IV.支払い方式とは
さて、ここまで読んでいただいて今一つ腑に落ちない思いを抱かれた読者もいらっしゃるかもしれない。実務を担っている方なら、「そもそもなぜそんな請求間違いが起きたのか」「なぜ長いこと間違いに気付かなかったのか」という疑問を持たれるのではないだろうか。
冒頭から長々と極私的で生々しい話を披露してしまったのは、誠に不謹慎ながら、元上司の訃報に接して今回のテーマを思いついてしまったからである。
それが「支払い方式」である。おそらく大手企業の物流担当者や物流会社の営業担当者以外にはなじみの薄い用語であろう。通称であり正式名称ではない。
支払い方式とは、荷主が倉庫料金や輸配送運賃など、物流にかかわる一切の費用を自らが自動計算し、その内容を物流会社に通知することによって請求額を確定する方式である。大手のメーカーなどが採用していることが多い。
大手になると、品目数、在庫移動、出荷オーダー数などがケタ違いに大きくなる。取引する物流会社も数十社に及ぶ。物流に伴う運賃・料金の計算、支払いの量も膨大である。本来、こうした運賃・料金は物流会社が計算し、請求書として提出、荷主が内容をチェックしたうえで支払うのが正しい流れであるが、現実的にはかなり厳しい。自分で計算して通知する分にはこうしたチェックの手間が省ける。物流会社にとっても計算の手間やそのためのシステムが不要となる。実際、物流会社は通知された1か月分の運賃・料金の総額を請求欄に記載しただけの請求書を月末に発行するだけで処理が終わってしまう。
おそらく最大の理由は、荷主が独自の運賃・料金体系を作り上げているからであろう。本来、物流にかかわる運賃・料金体系は物流会社が自社のタリフ(運賃表)をもとに計算する。倉庫料金なら普通倉庫料金表、トラックなら貸し切りの時間制と距離制、積み合わせ運賃、特別積み合わせ運賃などである。これらのタリフはシンプルでわかりやすくできている。
一方、大手荷主がこうしたタリフをそのまま利用することはほとんどない。多くは独自の料金体系を構築している。物流会社との個別折衝によって調整する部分はあるものの、基本的にオリジナルな料金表を使う。
このような料金体系を持つ主な理由はコスト低減である。さまざまなシチュエーションを想定してなるべく低コストとしようとするため、必然的に複雑な体系とならざるを得ない。
ここで先ほどの「払いすぎ」のトラブルに話を戻そう。その荷主の仕組みも支払い方式であった。80年代にすでにこの方式を取り入れていたことは驚くべきことである。物流にかかわる運賃・料金の自動計算はもとより、WMS、TMSの機能、破損などによる弁済処理まですべて備えていた。さらには物流だけのスタンド・アローンではなく、処理の結果が会計システムに連動している、いわばERP(Enterprise Resources Planning)といえるシステムであった。どこかのデータを変えるとそれがシステム全体に波及していき、どこまで影響していくのか担当者でもわからない。これを外部購入ではなく、この時代に自社開発していたのだからその実力は相当のものだろう。
ただ、支払い方式は万能ではない。物流にはイレギュラー処理がつきものであり、そうした作業料金まで自動計算することは不可能である。
問題となったのは「返品処理」である。納品先から返品を受け付けると、販売代金のマイナス処理が行われるとともに、商品が納品先から物流センターへ移動する。ここで、本来は返品運賃が自動計算されるわけであるが、返品はイレギュラー処理であり、通常とは異なった(高い)運賃を収受できる契約となっていた。そのため、返品については自動計算からはずして、「手書き請求」により支払いが行われることになっていた。
ところが、これが誤って計算対象となってしまっていたのである。それも何年間にもわたって。荷主の担当者も物流会社もそれに気付いていなかった。
「なぜチェックできなかったのか」と思われるかもしれない。支払い方式で渡される明細書は1か月分で厚さ10㎝にもおよぶ。まだデータでの受け取りがされていなかった当時、膨大な紙のデータをチェックし、その中から返品運賃を見つけ出すことは現実的ではなかった(のちにデータを受信できるようにシステム変更を行ったが)。
このような経緯で、荷主、物流会社ともまったく疑うことなく、自動計算と手書き請求の二重計上により返品運賃が過払いされていたのであった。
V.支払い方式に潜む危うさ
ここまでお読みいただいて違和感を抱かれただろうか。少なくとも筆者が最初にこの方式に接したとき、何かすっきりしないものを感じた。支払い方式とは、料金を支払う側が料金を計算し、料金をいただく側がその通りに請求してお金をいただくものである。他のビジネスでこのような仕組みが通用しているところがあるのだろうか。
うがちすぎかもしれないが、これはまるで荷主が料金を下賜し物流会社がそれをありがたくいただく、という構図にみえなくもない。
ある意味、物流会社側の怠慢という面もある。荷主が計算してくれるので自らの収受金計算を怠ることもできてしまうのである。自分の収受料金を他人に計算してもらうなどというビジネスは聞いたことがない。
では自分でも計算すればいいではないか、と思われるかもしれないが、最近はそれも難しくなってきている。運賃・料金体系が複雑になりすぎているのである。少々言い方が悪いが、荷主の物流担当者は運賃・料金を少しでも減らすためにありとあらゆる方法で体系を見直しシステムに組み込んでいく。それが長年積み重なった結果、物流会社側では複雑すぎて同じ計算ができなくなってしまっているのである。実際、荷主でさえ代々築き上げてきた複雑な仕組みを理解できる人がおらず、物流会社の見直し要求などに的確に対応できない、という「笑い話」さえ聞こえてくる。
双方納得し合意をしている、という建前はあるものの、片方での「再現性」のない契約は「優越的地位の濫用」と指摘されても仕方がない。まして、こうした支払い方式と複雑な体系が荷主の数だけあれば物流会社の事務処理の標準化などもとてもおぼつかない。
VI.シンプル・アゲイン
そもそも物流にかかわる運賃・料金とはシンプルなものである。原価がシンプルだからである。シンプルなまま契約していれば複雑なシステムなど不要だし、物流会社が計算したものを荷主に渡せば済む話である。荷主側での内容チェックも現在のITをもってすれば簡単なはずである。物流会社の事務手数も大幅に減少しする。
おりしも、昨年4月国土交通省は「トラック標準運賃」を告示した。規制緩和で物流会社の事後届け出制となったトラック運賃であるが、荷主と物流会社の交渉による実勢運賃が思うように改善されず、このままではトラックドライバーの労働条件の改善と、物流会社の経営健全化が進まないと業を煮やした国土交通省が、前回の認可運賃告示から実に30年ぶりに標準運賃を示したのである。新タリフは、約1,000社のトラック事業者に原価計算資料となるデータ収集を実施、運転手の労働条件向上のため一般産業での労働時間等を適用した運賃料金となっている。原価を適正に反映した適正な運賃体系といえる。
30年前の距離制運賃(実際は現在の実勢運賃に近い)と今回の標準運賃を比較したのが以下の表である。
10~50%くらいの開きがあることがおわかりになると思う。ドライバーの待遇を世間並み以上にするには、これでも足りないと思うが、現在はコロナ禍ということもあり、この標準運賃さえ適用はほど遠いのが実態である。
双方合意した適正な運賃・料金は物流会社が自分で計算し請求する。そのためには原価を反映したシンプルな体系で契約を結ぶ。こんなごく当たり前の道理を上司の訃報に接して考えさせられた次第である。
以上
(C)2021 Takeshi Yamada & Sakata Warehouse, Inc.