ロジスティクス・レビュー

第68号開けてビックリの国際物流<上>(2004年12月10日発行)

執筆者 山縣 敏憲
佐川物流サービス株式会社 シニアコンサルタント
    執筆者略歴 ▼

  • 経歴
    • 昭和22年   東京生まれ 双子座
    • 昭和45年   日本大学法学部卒
               同年いすゞ自動車入社
    • 昭和48年8月 海外本部・輸出業務部に配属となる
               GMの全世界販売網への輸出業務を開始する。
    その後の主たる業務
    • 日本→バンコック向けCKD世界初のコンテナ化を行う。
    • インドネシア向け輸送にR/Rを世界で始めて導入に成功。インドネシア政府より表彰される。
    • いすゞ・富士重工合弁による米国自動車工場SIAの立ち上げによる日本からの工場設備輸送輸出物流の総指揮をする。-20℃の原野にコンテナ・ハウスを作り数ヶ月間物流の陣頭指揮に当る。
    • いすゞ苫小牧工場→横浜港経由→西海岸への自動車用エンジンの輸出ルートを、苫小牧→釜山港(韓国)→西海岸に変更。このような事例は日本国始まって以来のことであり、1996年に堀 紘一氏監修の”ナビゲーター‘96『日本の港湾は生き残れるのか』”というテレビ番組に取り上げられて出演する。
    • 中国内陸部南昌市の江鈴汽車公司向けCKDのコンテナ化に成功。内陸部1000Kmまで海上コンテナの輸送を行った自動車メーカーは世界初。
    • ソ連邦崩壊後、ソ連国内物流(特に航空貨物)の誤配未配問題解決のため、ソ連運輸公団より呼ばれ調査を実施する。
    • いすゞ自動車の55歳転籍ルールにより、東芝(沼津工場勤務)へ転籍しましたが、東京での講演や会議への出席が多いために退職。
    • 03年10月 佐川物流サービス株式会社へ入社。現在シニア コンサルタント
    所属団体など
    • 日本ロジスティクス システム協会・国際物流管理士資格認定講座・講師
      並びにカリキュラム委員会・副委員長。
    • (社団法人)海外事業協力協会・講師。
    • (株式会社)国際貿易経営研究所・講師。
    • 省エネルギー輸送対策会議・理事等
    • 趣味はクラシックカメラのコレクションや修理

*今回は2回に分けて掲載いたします。

目次

◆20世紀最大の物流機器の発明はコンテナだ!なんていうのは
  嘘だ!温故知新の物流学・・・

  この写真をご覧頂きたい。1770年頃の帆船時代の港風景と帆船の船内図である。
港の風景には樽が描かれており、樽の中身は液体ではなくて乾物である。


  現在では樽といえばビール樽やウイスキーを熟成させる樽などが思い浮かぶが、樽の精度が悪いと液体を入れたら隙間から漏れてしまう。精度が悪くて隙間のある樽でも乾物なら大丈夫だったのである。ナポレオンがワーテルローで戦争をしていた頃、樽に銃や弾薬、食料や衣服などを入れて前線へ送っていたという記録も残っている。樽を転がしている絵があるが、西洋の樽はこのように弓形にアールがついた板を側板に使うから地面とは点で接しているので、倒せば簡単に転がせ方向を変えることも容易なのである 。日本の樽は和樽と言うが、こちらの側板にはアールは無く、倒して転がしたら同じ処をグルグル回ってしまう。これは和樽が移動用の道具ではなく、あくまで保管用として機能していたことを示します。 

  絵にあります、樽を積み付ける専用のデッキを持った帆船は、現代のコンテナ船と変りません。コンテナ船にあるセル(コンテナが動かないようにラックと爪で押える装置)と同様に樽が転がらないような留め具の装置もありました。このように現在我々が便利に使用している国際規格の海上コンテナも、突然誰かが発明したのではなく、古くからそういう考え方があり、実際に長い年月に渡って利用され、改良されてきたということをお解り頂けたかと思います。

◆自動車会社の米国フォードがオートメーションシステムを発明
 したというのは嘘だ!メイフラワーでやってきた連中が・・・

  オートメーションの確立は、あの自動車王国フォードのT型から始まったと言われますが、本当にそうでしょうか。ヘンリー・フォードさんは“オートメーション”が閃いたのでしょうか?


  フォード車の代名詞とも言える「T型フォード」は、1908年に誕生した。自動車の歴史を語る上でも、欠かすことのできないT型。その高い品質と優れたコストパフォーマンスは、それまで贅沢品としての側面しか持ち得なかった自動車に、日常的な輸送手段という新たな存在意義を与えた。  
  誰でも運転できる操作性により、瞬く間に広まったT型は、アメリカ全土にモータリゼーションの波を巻き起こし、人々はその恩恵にあずかることによって、それまで行けなかった20マイル先の世界へ足を踏み出すこととなった。ヘンリー・フォードの理想を叶えたT型は、その役目を終える1927年までに1,500万台を生産し、多くの人に夢と希望をもたらし続けることとなったのです。

  1620年メイフラワー号で米国へやってきた移民の連中からT型フォードの生産が開始される1908年まで300年近くの長い時間がありますが、この間には何も無かったのでしょうか?いえいえ、調べてみたら面白い事実もあったのです。

  メイフラワー号とは…  
  メイフラワー号とは、1620年ピルグリム=ファーザーズ=巡礼始祖と呼ばれる102人が乗って北アメリカに渡った船の名前である。全長27.5m、180tのメイフラワー号の前身はスウィート=シップと呼ばれるぶどう酒運搬用の貨物船であった。


  3本マストの帆船で船の前方と後方には、キャッスルと呼ばれる平たい家が建てられていました。前方には40人の船員が居住し、後方に102人の船客が居住していた。巡礼始祖とは、1620年信仰の自由を求めてアメリカへ移住した102人の分離派清教徒のことです。そのうち36人は早くからイギリス本国の宗教的圧迫を逃れ、オランダのライデンに移住していた人々でした。1620年9月16日、イギリスのプリマス港を出発し、2ヶ月後の11月21日、現在のマサチューセッツ州プロヴィンスタウンの地に入港して修理・補給を行った後、12月26日マサチューセッツ湾の沿岸に到着、その地をプリマスと名づけました。上陸に際し船上で41名の男子が署名し、たがいに協力して植民地を建設する旨を誓ったメイフラワー誓約が結ばれましたが、この誓約は社会契約説の実現として有名です 。冬の寒さと疾病のため1621年4月までに約半数が死亡したのですが、サモセットというインディアンからとうもろこし栽培や狩猟の仕方を学び、その後の新移民も加わって発展したのです。メイフラワー号は1621年4月15日帰国の途につき、ロンドンに戻りましたが、その後2年も経たないうちに廃船とされました。  

  メイフラワー号でやってきた連中とは貴族や豪商ではなく、宗教的な迫害を逃れる為にやってきた貧しい人達だったのです。 小さな船であり、たくさんの荷物も積めませんが、何より貧しい人達でしたから、家財も少なく、着の身着のままといったところだったのでしょう。そんな人達が上陸してから後に続く者もあり、植民地は人口も増えていったのです。彼らは最初イギリスから持ってきた道具を使っていたのですが、道具は使えば磨り減ったり壊れたりします。そんな道具の中で壊れると困ったのが、時を知らせる道具、即ち時計でした。腕時計や懐中時計のように貴族階級しか使えないような高価なものではなく、柱時計のような大きな時計です。時計は一つしか無いという町もありました。この時計を分解・修理・組み立てする職人もいなかったので、壊れた部品を作り直す事も大変な困難を伴ったのでした。当時の時計は、高価なものであり、時計を作る職人や修理する職人も高い技術を持っていたのです。技術も無く、専門的な道具も持たない移民の人達は、壊れた部品を作る工程を幾つかに分け、一つの欠けた歯車を作るのにも、何種類もの道具を作ることから始めなければなりませんでした。これは生産を一人で全て行うのではなくて、分業するというやり方の起こりであります。  
  その後移民の数が増え東海岸から西へ西へと開発が進み、皆さんが良くご存知の西部開拓が始まります。西部劇の主なテーマであるインディアンとの戦争も起こりました。東海岸から西へ向かって奥地へ奥地へと兵を進める騎兵隊がインディアンと戦う武器は銃や剣です。この時代欧州では長い間戦争も無く、銃や剣は実戦用の実用本位なものから、趣味性の高い嗜好品へと変化していました。腕の良い職人が、最初から最後まで手作りで芸術品のような銃や剣を作っていたのです。今でもヴィトンのハード・ケース(ブリーフ・ケースやトランクなど)は、ポプラの木を組み立ててケースを一度完成させ、それを一旦バラして表面を貼って行くという工程で作られていますが、最初から最後まで一人の職人が行います。奥地へ奥地へと進む騎兵隊に武器弾薬の補給は欠かせませんが、常に間に合うとも限らないのです。壊れた銃の部品を寄せ集めて、それを再生させなければ急場を凌げない状況もあったことでしょう。しかし、欧州から持ち込んだ銃や剣は、前述しましたように一人の職人が作る嗜好品のような一品物なのです。壊れた銃から部品を外して、他の銃の部品と入れ替えようとしても、合わないのです。新品の銃が東部から来るのを待っていたら、全滅してしまうかも知れません。最前線の兵からは、精度の高い部品で作られた高性能の銃が求められました。政府もこの要求に答えるべく、新しい銃を欲しました。

【初期のColt拳銃】

  そしてその答えを持って、一人の男が現れたのです。そう、“Sam Colt”、コルト・シングルアクション・アーミー45口径・キャルバリー、“コルト45”という名前で有名なこの連発銃こそ、工程を幾つにも分けて多機能機械から複数の単機能機械へと物作りの手法を変革して作られたオートメーションの考え方の草分けなのです。  
  T型フォードの生産が開始された1908年から27年までの19年間にわたり、世界各地で1500万台も量産された、ヘンリー・フォードのT型フォード生産オートメーション・システムには、このような歴史の前段があってこそ開花したのです。

◆物流企業海外進出の成功例(株式会社日新)と失敗例 
 (丸全昭和運輸株式会社) 海外進出の吉凶

  私は自動車メーカー出身の人間でしたから、外地で工場を建設する為の資材を運ぶとか、倉庫を借りるとかという業務をして参りました。そのような外地でのロジスティクス業務を遂行するのに頼りになるのが日本の物流企業でした。バンコック近郊の旧都アユタヤの近くにロジャーナ工業団地というのがあり、日系企業もたくさん集まっています。ニコン、花王、ムラタなどがあったかと記憶していますが、何と言っても最大だったのがホンダさんの工場です。自動車工場だから巨大なのは当然なのですが、何と、この工場にはノックダウンの工場も併設されていたのです。ノックダウン(KD)というのは、それまで日本から世界中へ輸出するものであったのですが、円高の加速、各地での外地工場稼動開始、海外調達の促進などによって、今では自動車用組み立て部品が日本国内で生産されたものだけとは限らなくなりました。ホンダのタイKD工場設立も、KDの組み立てに必要な部品の生産地を検討した結果です。例えば80%を日本で生産していて、残りが輸入品なら日本へ集めるのが当然かと思います。しかし、これが逆に日本で調達するのが20%だったら、一番多くの部品を生産する場所にKD工場を作った方が合理的なのです。ホンダの場合、それがタイだったのです。一番多くの部品を作るのがタイで、フィリピン、マレーシア、台湾と続いて日本はその後だとか…。 これならばタイに集めて、そこでロットを揃えて梱包して輸出する方が合理的です。  
  『日新さん、ロジャーナのホンダ新工場での梱包作業の仕事をお願いしますので、一緒に来てくれますよね…』とホンダさんからお声が掛かりました。もちろん日新さんの普段の実績があってのことです。 日新さんが梱包作業を請け負い、日本梱包運輸さんがタイ国内の物流を請け負ったと聞いております。  

  『山縣さん、何かタイ国内での仕事はございませんかねぇー』と、丸全昭和運輸の役員さんから声を掛けられたことがありました。『えっ、何故私に丸全昭和さんが…、タイへ来られていたのですか?』というのが私の疑問でありました。お話を聞いたら、ある電力会社の発電所建設の工事に伴う物流のお仕事で、タイに支店もつくられたとか。大型プロジェクトですから、物流のお仕事も数年続いたそうです。ならば引き続きその会社からお仕事を頂ければと思ったのですが、役員さんがおっしゃられるには 、『電力会社の作り出す商品は電気です。その商品はトラックで運ばれるのではなく、送電線を使って各戸へ届けられるのです。』私は聞いていて大変だなぁーと感じました。言われてみれば出来上がった商品はトラック輸送などしません。発電所建設のためにタイに支店まで作って、駐在員を置いて発電所完成後は全く物流のお仕事はありません。
  このようにメーカーと一緒に海外進出してもその明暗も異なるのです。もちろん、丸全昭和さんと言えば、日本でも有数の物流企業さんですから、タイ支店も立派に営業されていることは言うまでもありません。  

◆日本自動車メーカーのアジア戦略
  アジアの車が世界制覇をするのは2007年だよ!

  世界の人口が60億人を突破して食糧問題が急浮上していますが、中国12億4千万人、インド9億9千万人、インドネシア1億9千万人…タイ、フィリピン、台湾、マレーシア、韓国、日本などアジア全体を合計すれば、ざっと30億の人が暮らすのがアジアです。これは世界人口の半分であります。アジアの車が世界制覇をするのは2007年だよ!と言ったのは、数年前の年頭挨拶でのGMの社長さんの言葉だったのです。この根拠はアジア各国への自動車工場進出計画、稼動開始予定、工場の規模、その他に各国のGDPの伸び、工業化の拡大といった条件をコンピューターで計算した結果だそうです。私も正確に2007年とは断言できませんが、近い将来世界の自動車生産地の中心がアジアになることは間違いないと思っています。

【世界一のコンテナ扱い量を誇るシンガポール港は名実共に世界のハブ港だ】

<次号に続く>

参考: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』http://ja.wikipedia.org/wiki/



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