ロジスティクス・レビュー

第347号 日露戦争は最高のロジスティクスであった:「坂の上の雲」の時代から現代へ(2016年9月8日発行)

執筆者  野口 英雄
(ロジスティクスサポート・エルエスオフィス 代表)
    執筆者略歴 ▼

  • Corporate Profile
    主な経歴
    • 1943年 生まれ
    • 1962年 味の素株式会社・中央研究所入社
    • 1975年 同・本社物流部
    • 1985年 物流子会社出向(大阪)
    • 1989年 同・株式会社サンミックス出向(現味の素物流(株)、コールドライナー事業部長、取締役)
    • 1996年 味の素株式会社退職、昭和冷蔵株式会社入社(冷蔵事業部長、取締役)
    • 1999年 株式会社カサイ経営入門、翌年 (有)エルエスオフィス設立
           現在群馬県立農林大学校非常勤講師、横浜市中小企業アドバイザー、
           (社)日本ロジスティクスシステム協会講師等を歴任
    • 2010年 ロジスティクスサポート・エルエスオフィス 代表
    活動領域
      食品ロジスティクスに軸足を置き、中でも低温物流の体系化に力を注いでいる
      :鮮度・品質・衛生管理が基本、低温物流の著作3冊出版、その他共著5冊
      特にトラック・倉庫業を中心とする物流業界の地位向上に微力をささげたい
    私のモットー
    • 物流は単位機能として重要だが、今はロジスティクスという市場・消費者視点、トータルシステムアプローチが求められている
    • ロジスティクスはマーケティングの体系要素であり、コスト・効率中心の物流とは攻め口が違う
    • 従って3PLの出発点はあくまでマーケットインで、既存物流業の延長ではない
    • 学ぶこと、日々の改善が基本であり、やれば必ず先が見えてくる
    保有資格
    • 運行管理者
    • 第一種衛生管理者
    • 物流技術管理士

目次

1.民間記録に見る日露戦争

  ライフワークとして郷土の歴史を調べることが永年の夢だったが、昨年地元の旧家から江戸期の古文書が大量に見つかるという幸運に巡り会うことができた。その中に明治期の日露戦争に関する書簡が多く含まれていた。いわゆる軍事郵便だが、公式の戦史以外に民間レベルの活動を知る上で誠に興味深いものがある。
  その主なものは外地における前線の兵士へ慰問品を届けるという恤兵活動であり、その返礼が激しい戦闘の中から内地へ送られてきたものだ。時々刻々と変わる戦線や戦況が手に取るように示され、海を越えた兵站線が確実に維持されていたことも分かる。陸軍の中に恤兵部という組織があり、前線の兵士たちに葉書等を渡し、家族に近況を知らせるようにも配慮していた。

前線に送られたもの: 宝丹(万病に効く薬)、煙草、葉巻、毛糸、肌着、チョッキ、手袋、水天宮のお守り、旅順陥落を報じた新聞
前線からリクエスト: 足袋、現金(電報為替)、家族への配慮(万一の時は扶助料下付、軍籍加入のお願い)、田畑の情況確認(農家の長男として)


  戦地では心細いので電報為替にて現金送付(2円)を要請したが、現地に取扱所がないのでそのまま返送したという経緯もある。開戦翌年、明治38年(1905)1月の旅順陥落の後に、所属していた第1軍では現金(1円)が支給され、それは5月の日本海海戦前の3月だった。後の太平洋戦争では厳しい情報統制が行われ、戦線もはるかに拡大しこのような支援は充分に行われなくなった。明治の新興国家としての、国を挙げた息遣いも聞こえてくるようだ。

2.明確な戦略と兵站の確保

  漸く走り出した新興国日本と超大国ロシアの力の差は歴然としており、それでも戦わなければならない状況をどう突破するかという明確な目的がまずあった。それをどのような論理で実行しどう兵站を確保するかが、綿密に組み立てられた。そして大前提は短期決戦で有利な状況を作り、早い段階で和平に持ち込むという戦略である。
  具体的にはまず遼東半島の旅順を母港とする敵太平洋艦隊を殲滅し、地球を約半周して合体するはずのバルチック艦隊を単独にさせ迎え撃つことだった。そのためには旅順港の後背にある山を奪取し、そこから艦隊を砲撃する計画が立てられ、艦隊を港外に出さないための閉塞作戦を実行する。しかしこれは不完全に終わり、後背地への攻撃も思うようには進まなかった。やがて203高地奪取へと目標が変更され、多くの犠牲を強いられながら漸く成功した。そして旅順港への砲撃が可能となり、敵艦隊の機能を大きく失わせ、旅順開城に漕ぎ着けたのである。
  これに並行して陸上戦も進められ、見事な作戦により勝利を重ねていく。そして日本海海戦に勝利し、アメリカに仲介を依頼し和平に持ち込んだ。ポーツマス条約が締結されたのは開戦1年半後の9月だった。

戦略とは:敵を知り己を知る(持てる資源)、論理を考える、そこへ兵站を組合せる
兵站とは:前線の動きを掴み、兵や物資を的確に補給する

3.ロジスティクス概念がない時代の作戦

  日本に物流という概念が持ち込まれたのは昭和30年代であり、物的流通とされ当然未だロジスティクスにまでは至っていない。ただマーケティング概念との関係があるとされていたのは注目される。ましてや明治後期にその思想があるはずもない。しかし新興国として外国に学び実際に見て、情報を収集して組立てた。
  情報とはまずロシア軍の兵力であり、「ロシア革命」前夜の国内情勢であった。そしてバルチック艦隊の行動は逐一大本営にもたらされた。日本近海に到達した時も、宮古島の漁師たちが手漕ぎ舟で昼夜をついて無線のある石垣島に知らせた。「坂の上の雲」の時代は全ての国民がひたむきに、先進国に早く追い付きたいという強い思いを抱いていた。
  海軍は日本海海戦に向け、シミュレーションと訓練を繰り返した。敵艦隊がまずどのルートから日本海に入ってくるのか、それを想定した布陣や艦隊の動き等を統制する演習を何回も行った。その計画をチェックし承認したトップの決断も並々ならぬものがあった。
  三池炭鉱から産出する石炭を艦船への燃料とするため、艀による本船への供給や、荷役のスピードアップを図る工夫が凝らされ、女性もその作業に参加した。迅速な燃料補給も勝因の一つとされる。

ロジスティクス:情報を駆使した計画と統制→基本は需給管理
                     情報とは例えば需要予測、リアルタイムの在庫把握等

4.明治の基盤は江戸期にあった

  江戸期中頃から寺子屋が盛んに設置され、その結果日本人の識字率が向上し、明治期に入って殖産興業や富国強兵政策を支えたと考えられている。外国から新技術を導入しマニュアルが作成され、それを女工さんたちが読み理解できたのである。兵士たちも複雑な機器の操作をいち早くマスターした。このような基盤がなければあれだけ急速な近代化は実現不可能だったと、外国人学者が指摘している。家内制手工業も商人資本の投資により工場制手工業(マニュファクチャー)のレベルに達し、これが明治期のプロト工業化に繋がったことも同様である。
  国としての公式な戦史に載せられていない民間活動も戦争を支え、兵士たちの士気を高めていったことも間違いない事実であろう。その活動の重要性を認め、兵站を維持した軍にも度量があった。近世に入り朝鮮に二度も出兵した秀吉が、二度目は対馬海峡の兵站線を破られ、上陸していた軍を守れなかったのとは好対照である。

5.現代にロジスティクス戦略はあるのか

  今、経営にとって相変わらずコストが重要であり、積極的なアウトソーシングが進められている。企業としての基本戦略であるはずのロジスティクスもその例外ではなく、物流外注と同じ程度の位置付けである。アウトソーシングには委託側が行うべきコア業務が必ずあり、前提としての業務標準化も不可欠である。しかしその努力をさて置き、何でも外注に走るのは丸投げというものだ。行政においてもこれは災害時の非常事態で露呈してしまい、その修復に手間取ることが繰り返されている。この分野に関してはロジスティクス概念そのものがない。
  非正規雇用がもはや全体の4割に達し、「坂の上の雲」の時代とは明らかに違ってきている。そのような新たな前提で企業の戦略をどう再構築し、物流業界がどう対応するかが問われているのだろう。しかしどんな時代になっても、戦略と兵站の重要性は変わらないはずだ。

企業行動: 戦略面→ マーケティング、6Pという要素、人の感性が問われる市場起点でのサービス提供(マーケットイン)
産業構造がサービス・ソフト分野にシフト、主な対象は人
兵站面→ ロジスティクス、情報を駆使した計画と統制
基盤としての品質管理は情報(事実:データ)を改善の手掛かりにその結果を業務標準化に繋げる
市場起点での商品供給(サプライチェーン・ロジスティクス)

以上


【参考文献】
  • 『物流の歴史を学ぶ人間の知恵』:平原 直著、2000年7月、流通研究社刊


(C)2016 Hideo Noguchi & Sakata Warehouse, Inc.


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