ロジスティクス・レビュー

第276号 わが国物流史を探る:物流とは外来の概念ではない(2013年9月24日発行)

執筆者 野口 英雄
ロジスティクスサポート・エルエスオフィス 代表取締役
    執筆者略歴 ▼
  • 略歴
    • 1943年 生まれ
    • 1962年 味の素株式会社・中央研究所入所
    • 1975年 同・本社物流部へ異動
    • 1985年 同・物流子会社へ出向(大阪)
    • 1989年 同・株式会社サンミックスへ出向(コールドライナー事業担当、取締役)
    • 1991年 日本物流大賞受賞:「高密度共配による配送効率の飛躍的向上」
    • 1994年 同・本社物流部へ復職、96年退職(専任部長)
    • 1996年 昭和冷蔵株式会社入社(冷蔵事業部長、取締役)、98年退職
    • 1999年 株式会社カサイ経営入社 ~パートナーコンサルタント
    • 2000年 有限会社エルエスオフィス設立
    • 2001年 群馬県立農林大学校非常勤講師
           日本ロジスティクスシステム協会講師
    • 2010年 ロジスティクスサポート・エルエスオフィス 代表
    保有資格
    • 物流技術管理士(第26期)
    • 運行管理者
    • 第1種衛生管理者
    活動領域
    • 日本物流学会正会員
    • 日本ロジスティクス研究会(旧物流技術管理士会)会員
    主要著書・論文
    • 『低温物流とSCMがロジ・ビジネスの未来を拓く』
      ―鮮度管理システムで顧客サービス競争に勝つ
    • 『低温物流の先進企業事例』
      ―生鮮流通の業態・チャネル別戦略モデル
    • 『低温物流の実務マニュアル』
      ―経営戦略・マネジメントとの連動

目次

1.物流という概念は米国から伝わった?:日本古代からあった

  わが国物流の先駆者である平原直さんの著書を読むと、物流という概念の定着経緯は次のようになっている。

・昭和30年頃~: マーケティング概念が伝わる、その関連部門でPDという考えも日本生産性本部・米国流通視察団がPDという概念を持ち帰る)
・同34~35年: PDを流通技術と訳す➝システムアプローチが重要との提言も
・同36年: 流通技術という訳は不適当と意見具申➝訳者から猛反発を受けた
・同38年: 経企庁(当時)がPDの重要性を取り上げ➝物的流通が適当と進言
・同39年: 通産省(当時)が物的流通という用語を初めて公に使用

  

  マーケティングとの関連・システム化等の重要性は、現代にも脈打つ提起である。そして今、これらがもう本当に完成域へ達したのか良く考えてみる必要があるだろう。物流管理はコスト削減として、アウトソーシングで簡単に片付けてしまう経営は余りにも安易である。例えば品質管理やBCP等と本当にリンクできているのかどうか。わが国経営ではロジスティクスも物流と同じ程度の位置付けなのだろう。
  また物流とはその頃米国から持ち込まれた概念なのか、否わが国の歴史を見てみると古代からそれは確実にあったのではないかと考える。極東の小さな島国という立地が、必然的に物流の重要性を育んできたと思える。徴税(物納)という国家事業・軍事戦略・経済の興隆等で、物流は原始以来大きな役割を果たしてきた。これに関わる人々のステータスも、今よりもっと高かったはずだ。それはやがて兵站概念につながり、ロジスティクスへの萌芽となる。

2.「大化改新」で官道・宿駅を設定:本格物流の始まり、原始~古代

  日本は先進中国から律令を学び、646年の「大化改新」で国家としての体制を整えた。

・縄文~弥生期: 特定産地でしか得られない黒曜石・翡翠等が広域に流通、大陸の戦乱から逃れ多くの難民が渡来➝新しい文化の伝来(稲作、銅・鉄器等)
・大国中国への朝貢・遣使: 紀元前200年頃~、西暦239年邪馬台国女王・卑弥呼も遣使。遣隋・遣唐使~894年菅原道真の建言により中止、国交途絶
・「大化改新」: 国・郡・里設定、租・調・庸の税制確立。調を都に運ぶ官道・駅家整備➝納税者から選ばれた運脚が運ぶ

  

  荒海を渡る手段としての造船・操船技術が既に確立し、国内では主要道としての官道や支線としての伝路が整備されていった。地理概念もかなり確立されていた。

3.軍事面での道路・拠点整備:兵站概念、古代~近世

  長い歴史の中で対外・対内戦争が繰り返され、軍事的にも道路や拠点が重要なものとなっていった。

・白江村の戦い: 663年、百済支援のため朝鮮半島へ派兵➝唐・新羅連合軍に敗れる
天智天皇は大陸からの侵攻を恐れ難波から内陸部の大津へ遷都
・壬申の乱: 672年、大海人皇子(後の天武天皇)は吉野から伊勢に移動し兵を集
め、不破を閉じ近江朝廷軍の進軍を阻止➝大海人が逆襲し勝利
・蝦夷征伐: 7世紀後半、越後にを築く、712年出羽国・秋田設置
724年多賀城(宮城)、802年胆沢城・翌年紫波城(岩手)設置
九州・隼人に対し713年、大隈国設置
・鎌倉幕府: 首都鎌倉へ通じる上・中・下道を建設➝その名残が鎌倉街道
・武田信玄: 甲府から信州に通じる軍事道路を建設(榛道)
・豊臣秀吉: 小田原方が得意の籠城作戦を東海・東山(中山)道と海上の3方向から攻める➝兵站の勝利

  

  戦いのためには大軍を移動させる道路や、それを遮断する関(柵)が重要であった。これは兵站戦略であり、それに成功した側が勝利を掴んだとも言える。

4.流通の発達:問丸・馬借・車借の活躍、中世

  農業が発展するとその産物を広域で販売するために、流通が発達していった。その重要な役割を担ったのが、問丸・馬借・車借と言われた物流事業者であった。

・鎌倉時代: 高利貸としての借上、為替制度成立➝ 運営するのは問(問丸)と呼
ばれた物流事業者、これが問屋の原点となる
・室町時代: 高利貸は土倉と呼ばれる➝馬借は馬で車借は牛車で運送事業を行う
・蝦夷との交易: 室町時代、畿内と結ぶ日本海航路➝俵物(干鮑・ナマコ・フカヒレ)・昆布・鰊、北前船(千石船)の原形➝積載量重視
・琉球との交易: 琉球は日本と中国への二重外交➝東~南アジアとの中継貿易

  馬借・車借は護衛としての武力を保持し、情報収集・組織力にたけていたため、しばしば一揆に加担し大きな影響力を発揮した。室町期頃より、権力に盲従しない百姓一揆が盛んに行われるようになり、徳政を要求した。

5.海外との交易:外航海運、中~近世

  国家の体制を整えたことで日本は中国の柵封体制に入るのではなく、あくまで対等な関係であろうとした。一方で交易は盛んに行われ、朝貢を再開した時代もあった。

・日宋貿易: 平安後期、平忠盛~清盛父子により行われた➝兵庫に大輪田建設
・日元貿易: 鎌倉~室町、建長寺船・天竜寺船等による中国との交易➝寺社の再建原資を得る
・日明貿易: 室町幕府3代将軍・足利義満➝朝貢を再開し外交関係を結んだ、勘合貿易
・織田信長: 南蛮貿易➝スペイン・ポルトガル
・豊臣秀吉: 朝鮮侵攻(文禄・慶長の役)➝日明貿易が狙いだったとされる
・徳川幕府: 四つの口での交易➝松前(蝦夷)、対馬(朝鮮)、長崎(中国・オランダ)、薩摩(琉球)、今は鎖国という言葉は使わない

  

  日本の重要な輸出品は銀であった。最盛期では世界産出量の3分の1を占めていたと言われる。

6.内航海運の開発と五街道の整備:大量流通と通信制度、近世(江戸期)

  大量・迅速流通のニーズが高まり、内航海運の開発が積極的に行われていった。参勤交代が幕府の重要施策になると、五街道の整備も進んだ。

・河村瑞賢: 西回り(北前船)~東回り航路開拓
・角倉了以: 河川舟運開発➝保津川・高瀬川、富士川・天竜川等
・菱垣廻船 積荷落下防止用に菱形の垣を設置➝後に樽廻船との競争に敗れる
・樽廻船: 関西方面で醸造された酒を江戸に運ぶ➝江戸は100万都市
・五街道整備: 東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中、参勤交代のため、道中奉行を置く
・飛脚制度: 継・大名・三度飛脚➝江戸~京を6日で、月3往復重要な通信・宅配制度

  

  江戸は100万都市であり、大量の消費物資が集積された。また江戸幕府が各大名に対し強力な管理体制を敷いたため、通行としての物流インフラも整えられていった。

7.日露戦は最高のロジスティクス:優れた兵站、近代

  超大国ロシアとの戦いは短期決戦で、和平に持ち込むしかなかった。戦いには勝ったが、米国による調停では小国としての苦汁を飲まされることになる。

・先進国の状況把握: 各国駐在武官による情報収集
・過去の戦闘事例分析 旅順港封鎖作戦立案
新技術開発と訓練 下瀬火薬等、砲撃・操船等
・艦船への石炭積込み 天狗取り荷役という人間コンベアが短時間補給を可能にした
・敵艦隊発見の報せ: 民間船が大本営に打電➝宮古島の漁民も手漕ぎ舟で無線施設のある石垣島に知らせた
・日本海海戦: 多大な犠牲を強いられたが203高地奪取による旅順港砲撃と閉塞で太平洋艦隊を封じ込め、地球を半周してきた単独のバルチック艦隊を撃滅することができた

  

  明治維新以来の短期間で先進列強に追い付こうとした努力が、優れた兵站を生み出した。それは情報収集による「計画と統制」という、ロジスティクスの本質そのものではないか。逆に太平洋戦争では兵站思想の欠如が敗戦につながったと言われている。
  私たちの先人は物流やロジスティクスという言葉は使わなくても、原始・古代からそれを重視してきたことは間違いない。わが国は元々モノ作りだけではなく、加工貿易~流通立国だったはずである。そして物流事業者は社会の最下層ではなく、経済の最先端を支えた。

以上

(参考文献): 「物流の歴史に学ぶ人間の知恵」平原直著、2000年7月、流通研究社刊
「詳説日本史研究」五味文彦ら編著、2008年8月、山川出版社刊


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