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第19号倉庫の歴史と今後必要とされる方向性について(2002年11月06日発行)

執筆者 吉川 則行
株式会社サカタロジックス マネジャー
    執筆者略歴 ▼
  • プロフィール
    • 兵庫県出身。
    • 建材メーカー営業職、私立高校教員を経て、現職。
    • 大手スポーツメーカーにおける海外調達を含めたロジスティクス体制改善支援、
      大手医薬品ベンダーにおける物流戦略構築プロジェクト等を手掛ける。
    • 特に物流センター業務改善提案・医薬品関連の物流支援には実績がある。
    • 常に客観的立場で「顧客にとって何が最適か」ということを考えながら
      “攻めの姿勢”での改善提案、プロジェクトマネージメントを行うことを心がける。
    主な資格 ロジスティクス経営士,倉庫管理主任者

目次

1.はじめに -古代から必要とされてきた倉庫の機能・役割-

人の生活において物を蓄えること、自ら作り出すことの出来ない物を手にいれることは必要不可欠なことである。そのために太古より人は自分たちの作った物、他から手に入れたものを蓄える為に倉庫を利用してきた。エジプトの古都ルクソールを訪問すると、今なお三千五百年前の昔に建造された、ラムセス二世の巨大な倉庫群を見ることが出来る。ここで特筆すべきは、この倉庫から発見されたものが、穀物類のみでなく、大量の陶板であったことにある。この陶板には、何を・何時・何処で・誰が・どれだけ奉納および貢納したかと言う倉庫そのものに付帯する情報が記されている。さらにナイル川が何時・どのような条件の際に氾濫したのかという情報記録も保管され、氾濫を予測し、それに適した備蓄ができるようにされていた。このことから、倉庫には倉庫そのものに付帯する情報の保管と、通常の情報の保管場所としても、早くも利用されている事がわかる。そして必要な情報を必要時に取り出すことが出来る機能が求められていたことが伺える。

日本国内に於いては縄文時代後期から高床式倉庫が出現した。中の湿度、温度をある程度一定に保つことが出来る校倉造り、ねずみ返しなどは常温倉庫としての高い機能を持つものであった。同様の工法により、奈良時代の聖武天皇によって建造された東大寺正倉院は、今なお千三百年の時を越え、当時の文化を我々に伝えてくれる。正倉院の収蔵物にも宝物、楽器等の他、多数の当時の記録情報が見られる。これらの倉庫は、飢饉対策、公租保管などの目的で、時の統治者の管理下に置かれるものであった。

2.近世以前、物納時代の倉庫 -倉庫業の始まり-

生業としての民間倉庫業は、奈良時代末期の津屋にルーツを求めることが出来る。その中には荘園領主から独立し、港湾地帯などで売買の仲介、取り次ぎ、金融、旅人宿、小運送、荷捌き、物品保管等を行う者も出はじめた。各地方の特産物を運ぶ海運もこの頃にはすでに整備されていた。弥生時代より、中国大陸へ使者を送れる規模の船が建造できた事から考えても、更に前から海上輸送網に関しては何らかの定期交流があったと考えるのが妥当と思われる。特に兵庫、大阪から北九州にかけての弥生から古墳時代の主要遺跡、クニの跡は殆どが海岸線付近に存在する。海上交通を押さえる事において非常に好都合な場所に巨大古墳、高地性集落、環濠集落が見られることも、海上交通が当時頻繁に行われ、重要なものであった事をうかがわせる。
奈良時代末期に始まった津屋が鎌倉期に入り、問丸、問屋と呼ばれるようになる。そして倉敷、倉賃と呼ばれる料金を徴集するようになる。その中には、土倉と呼ばれる金融業者も生まれた。江戸期に入り、民間倉庫としては問屋と両替商の倉庫が発達した。問屋の倉庫は、菱垣回船、樽回船などの海上大量輸送の発達に伴い、江戸、大阪、神戸、新潟等に多く設けられた。この時代で特筆すべきことは諸蕃、旗本などの販売機関、貯蔵機関としての蔵屋敷制度が設けられたことである。これは諸藩が領内で生産された年貢米並びにその他の物品を売りさばくための販売機関としての倉庫制度であった。商業の中心大阪、江戸、大津で発達した。これが最も発達したのが大阪である。蔵米の買い取りに際しては、米切手が交付された。これは現在の倉庫証券制のルーツと考えられる。

3.開国以降、貨幣経済期における倉庫事業-現代の倉庫業の源流-

幕末開国後は、現在の保税倉庫にあたる借倉が神奈川、長崎、函館、神戸に設置された。
倉庫業が独立企業として発達したのは明治10年以降である。明治4年の廃藩置県制度の廃止、明治9年の物納廃止により、米を中心とした貨物の配給組織も大きく変わり、民間商人が大量の貨物を処理するようになった。これを受け、蔵屋敷などの倉庫が民間に渡り、活用されるようになる。これが民間企業としての倉庫業の原型である。
発足当時は、日本の財界の不況もあり、不振であった倉庫業であったが、殖産興業が浸透し始めた明治20年を転機として、独立企業として発展して行く。この中で明治20年開業の東京倉庫会社は、三菱為替商店の蔵敷業務の独立した物である。この、三菱為替商店の蔵敷業務が日本の倉庫業の起源とされている。
倉庫建築もこれまでの木造、土蔵造りの物から、煉瓦造りの物へと発展し、更に明治41年には早くも東京倉庫に鉄筋コンクリート造りの倉庫が出現した。また、同42年には住友倉庫が荷役設備として大阪、安治川の倉庫にエプロンコンベア、可搬式電動ウインチを設置した。この時期から、クレーンが倉庫に設置されるようになった。
冷蔵倉庫事業がはじめられたのもこの時代で、明治30年代、鳥取県米子で日本冷蔵商会が始めたのがわが国初の冷蔵倉庫と言われている。

4.大正時代~戦前期の倉庫業-港湾倉庫の発展と内陸営業倉庫の出現-

大正期にはいると、第一次世界大戦の影響による好景気に支えられ、インフラの整備が大いに進展した。これに伴い倉庫業も近代倉庫業の様態を整え、企業としての形態を確立した。貿易の拡大は急速な経済の発展を生み、政府による港湾修築も大々的に進められた。これにより、倉庫業者が港湾地帯へ進出し、港湾倉庫の躍進が顕著であった。また、主要幹線鉄道が整備され、米麦の輸送も鉄道が中心となる。これに伴い主要駅周辺に通運貨物のための内陸倉庫が出現した。大正10年の米穀法などにより、営業倉庫は価格安定のための常平倉庫としての機能も発揮する。また、関東大震災を契機に耐震、耐火性の優れた鉄筋コンクリート造りの倉庫が普及した。鉄筋コンクリートの普及により、狭い日本の国土に適した、多層多階の倉庫も見られるようになる。
しかし昭和に入り、戦争中は倉庫業統制要項により、強制的に54社共同出資の日本倉庫統制株式会社に統合され、大半の倉庫業者は単なる貸倉庫業者となった。

5.終戦後の倉庫業-フォークリフト・パレット荷役の始まりと交通網の課題-

終戦を迎えると、港湾倉庫などの施設は進駐軍によって接収され、戦争による破壊、労働者の損失など、大きな損害を受けた。しかしながら、復興金融金庫の融資や、設備資材の特別融資を受け、昭和23年には、早くも戦災前の水準を回復する。昭和25年の朝鮮戦争の勃発による特需景気、同27年の主権回復により、再び、倉庫業は活況を呈する。この昭和20年代の大きな特色は、大量配送による倉庫荷役の機械化である。米軍軍用品荷役に多くの機械が使用され、それを受けて倉庫業の荷役の機械化も始まった。昭和21年にはフォークリフトが倉庫荷役に登場し、パレットと共に荷役を大きく変化させることとなった。これにより、大型トラックによる大量輸送も容易になり、同時に交通網の整備が必要となる。しかしながら狭い国土の日本は国土に余裕のある欧米諸国の交通網と比較すると限界があるのは否めない。これは現在に至る課題である。

6.高度経済成長期 -大量生産・大量輸送とインフラ整備-

高度経済成長期に入ると、貿易の伸長、近代化への諸施策、料金の適正化等が進み、倉庫業も大いに発展することとなる。更に田中内閣の日本列島改造論等により、交通網の整備もおこなわれ、インフラ面に於いても現在の基盤が整った。重厚長大、大量生産、大量消費の産業構造に支えられ、ある程度同一の商品を一度に大量に輸送し、保管する事が出来た。倉庫業もこの頃はパレット/ケース単位の荷役による少品種大量保管であった。

7.経済安定期の倉庫業 -多頻度小口化物流へ-

しかしながら、昭和60年代から平成に入り、経済が安定成長期に入ると消費形態が多種多様化してくる。製造業各社は従来の同一品目大量生産から、消費者の志向に合わせた多品種少量生産型の製造形態へと変化を迫られた。この時期には消費者の動向に的確に反応する事が求められる。そのため、情報の流れが従来にも増して非常に大きな部位を占めることとなる。同時に運輸業社も少品種の大量輸送から、多品種小口輸送へと変化しつつある。顧客が欲しい時に、欲しい量だけ運搬するという要求を充足し、かつ、その中で利益を確保する事が出来なければならない。また、発注からのリードタイムに関しても非常に短いものが要求される。
倉庫の機能に関しても多アイテム、多頻度小口化、リードタイムの短縮に対応する必要が生じている。従来の物を預かり、それに対して利益を生み出すという事だけでは、社会的ニーズには対応できなくなりつつある。リードタイムの短縮に対応し、かつ、多品種少量生産、その中で企業の利益を確保してゆくには、機会損失を極限に押さえた在庫の削減が大きな課題となる。この傾向の中で、倉庫も従来通りの在庫を前提とした機能を有するのみでは企業の物流戦略上大きな足かせとなる。

8.近年の倉庫業-物流業務のアウトソースと倉庫に求められる機能について-

近年は3PL(Third Party Logistics)をキーワードに物流業務のアウトソースが進み、運輸業・倉庫業とも多くの企業が「物流業務の効率化」を売りに受注活動を繰り広げている。倉庫事業者に関しては、物を如何に保管するかという事に加え、在庫を押さえながら如何に物を効率よく動かすか、そのために倉庫というものをどのような形で利用してゆくのかという事を考えてゆかねばならない。そのためには、備蓄倉庫としての倉庫業を一部否定せざるをえない局面も考える事ができる。
例えば平成10年以降以降は物流業界においてもSCMがキーワードとして定着し、最小限の在庫で物を効率的に動かすということに重点がおかれるようになった。また、JIT(Just In Time)物流、物流の多頻度小口化への要請が更に高まっている。その結果、倉庫からの出荷単位も従来の単一商品のパレット,ケース単位の取引から、必要な複数の商品をピースピッキングして梱包した出荷が必要となっている。
しかしながら、このピースピッキングのノウハウを有する倉庫会社が非常に少なく、多くの倉庫では、ピースピッキングの請負企業を入れ、その企業に「丸投げ」しているのが現状である。このピースピッキングには、ソーターやデジタルピッキングシステム、カートピッキングなどのシステムが現在使われている。倉庫事業者においてはピースピッキングへの対応は今後の大きな課題の一つとなりそうである。
また、倉庫には、何処から・何時・何が・何処へ・どれ位の数流れたか、という物流情報を的確に把握する事が以前にも増して必要とされている。倉庫管理システムWMS(Warehouse Management System)等の情報システムもここ数年で数多く出されている。受発注に基づいて物が動く倉庫は社会において、情報の中心地として最も適した場所であるといえる。これからの倉庫事業者の命運を左右するのは、情報を必要な時に必要な状態で取り出せる状態にするという、情報の保管場所としての機能であると考えられる。また、現在の倉庫企業の多くがビジネスとしているトランクルーム事業のうち、書類の保管等も、倉庫の持つべき情報の保管機能として位置付けることができる。

9.最後に

以上倉庫及び倉庫業の歴史と機能について述べてきたが、倉庫の有する物の保管という機能、必要なものを必要な時期に必要な分出荷するという役割に加え、情報の保管という機能も、古代から現代まで変わることなく必要とされてきた機能である。
現代の流通においては以前にも増して物の流れ(物流)、取引関係の流れ(商流)に加えこの、情報の流れ(情報流)に対する比重が高まっている。倉庫においてもこれからより強く必要とされるのは、物だけでなく、情報も如何に利用可能な状態にし、流通チャネル全体、社会全体に対して運んでゆく事ができるか。そしてその中で自らの企業がいかにして利益を確保してゆくかという事である。
古来より、倉庫はただ物を保管するだけの場所ではなかったのである。近年、倉庫業においては従前の保管から利益を生み出すという企業と、物と情報が動き保管される場として、保管機能以外の付加価値から利益を生み出そうとする企業両者の傾向が見られる。
今後物流業務をアウトソーシングする傾向はまだまだ続きそうな気配である。その際、倉庫及び倉庫事業者を如何に利用してゆく事ができるか、そこにどのような機能を求めて行くのか。このことが、今後も物流戦略のカギとなるのではないだろうか。

以上


 【引用・参考文献】

  • 市来清也『倉庫概論』成山堂書店,1985年.
  • 庄野新『「運び」の社会史』白桃書房,1996年.
  • Philipp Vandenverg 坂本明美他訳『ラムセス2世-エジプト最大のファラオ-』佑学社,1978年.
  • 平原直『物流の歴史に学ぶ人間の知恵』流通研究社,2000年.


(C)2002 Noriyuki Yoshikawa & Sakata Warehouse, Inc.

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